清水湊はいつからあるのか・なぜ江戸時代に栄えたのか

清水湊はいつからあるのか・なぜ江戸時代に栄えたのか
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高校の先生だった 清水の歴史家北村欽哉さんの話のはなし
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清水湊はいつ発生したか
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16世紀に清水湊があった・・1560年ごろから

昔は海だった。地震で隆起して島ができ湊ができた

明応の大地震・・1498年にあった
地震で焼津市が沈み
焼津市の東に林相院というお寺が
そのまま階没した
村松のカイチョウジの日記が書いている

その時の地震で清水はひたすら隆起する
多分この時の地震で
清水が隆起した陸地化した
幕末の安静の大地震で激しくさらに隆起している

清水の地名は静岡県史で編纂された
1552年8月22日に今川家が清水屋敷を
誰かに会う・お役所のようなところがあった

2年あと今川家フジヤスと北条ウジイエとの婚姻などの
荷物を受け入れる湊となっている

1560年清水湊と清水の商業活動があった
渓流する船の訴訟
1570年の武田信玄が海賊ツチヤモッコウ左衛門に清水屋敷を与える
陣を動かし地理を築く
このあたりからあったようだ

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清水湊ははなぜ江戸時代に栄えたか
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清水発展の理由で
江戸時代の独占した流通を清水回船問屋の
42件の廻船問屋があたえられていた
富士川から安倍川までの商圏があった


徳川家康が大阪陣が起きて
家康に清水の商人がただで送ってくれた
そのお礼として・・42件回船問屋に特権を与えた
しかし
説明者の北村さんは42件廻船問屋の末裔だが、大阪にはいかなかった
腑に落ちない
歴史を想像でひもとくとくことで補正する

折戸湾・清水駅から三保まで船をつけて
軍艦をならべて・・駿府城防衛体制を取る必要があった
東照宮に見張りを置くと駿河湾が一望できているが家康は
実は毛利が恐かったことは想像に難くない。・・いくつかの県内の
湊に警備を依頼した
たぶんこの駿河湾の
艦船に荷物を運んだ程度の事だが・・

清水湊には大阪での名前がそのままある
つまりは大阪からきたヒト達が廻船問屋になり
京都の酒とか商品は顔がきき容易に清水湊に運ばせた
これらは江戸では超人気の商品で、京都の商業圏から
清水の問屋に商品を引かせて、物流の中継地点として
江戸の庶民にその商品を供給させる流通経路をつくること

船の所有者としての運搬の船は当時戦艦としても利用していたので
湊の警備にあたらせることで、大阪の陣で協力した清水湊の問屋42件に
物流の特権をあたえた徳川家康のしたたかさが清水湊を発展させた

想像の中に歴史が蘇る


北村欽哉さんの講演
http://tsekkei.exblog.jp/14296943/
http://tsekkei.exblog.jp/14296961/

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by tsekkei_net | 2017-08-19 14:25 | Comments(0)
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